多様性と競技

さまざまな種類の障害を持った選手たちがメダルを目指して競い合う。
パラリンピックよりわかりづらいけれどオリンピックだって様々な肉体やバックグラウンドを持ち競い合う。

今年のオリパラは「多様性」を目指すと言う。
私は多様性というものは競い合うものではないように思うのだ。ナンバーワンよりオンリーワン、だ。

弱視と全盲は別に同じ土俵で戦わなくてもいい。弱視の中でも見え方のレベルは様々だ。弱視というひとくくりで競い合わなくてもいい。

多様性を認めるというのは本来「自分と違う人を認めよう」ということだが、人たちに順位や優劣をつけることはこの理念にそぐわないように思う。

「多様性と競技は分けて考えよう」と友人にたしなめられた。
確かに競い合う人たちはみんな輝いているし自分の障害に言い訳しようなどとは思っていない。一定のルールの中で一番を決める。それには胸が熱くなる。

言っておくけれど私は競技を否定しているわけではない。ただ、「競技」は構造的に「現実社会」に似ている。どんなバックグラウンドを持っていようがルールにフィットしなければ脱落してしまうしかない。それぞれのバックグラウンドや特性を持った人がその人のまま受け入れられる世界、順位をつけない世界はユートピアなのかな、ともどかしく思ってしまう。

まあまあ、私のように「順位」を目の敵にしてしまうような人間が存在しててもいいじゃない。(多様性)

この記事を書いた人

natasha

大阪でWebデザイナーをしています。フリーランスです。
得意な料理は具なしパスタ。
好きな飲み物はビール。
ハマっているのは限りなくストレートに近いハイボール。
あとはワインと日本酒。
特技は体育座り。

I’m a freelance web designer in Osaka.
I’m good at making pasta without fillings.
My favorite drink is beer. Whisky, red wine, Japanese sake and so on.
I usually just sit with my knees hugged.